渋滞解明で、知財で、人と社会をスムーズにする。
対話する「未来論」第8回は、薬学の経歴を活かしつつ知的財産の法的課題に取り組む桝田祥子准教授と、流体力学をベースに渋滞学の進化を担う柳澤大地准教授。どちらも社会へ大きく貢献する研究テーマだが、2つの研究は「同じ建物にいるのに、全然違う」──そこでまずは互いの自己紹介から、対話が始まった。
柳澤:ちょうど西成先生の「渋滞学」が始まった頃に研究室配属が行われ、とても面白そうだなと思ったのがきっかけです。それに僕が学部時代に航空宇宙工学科で勉強してきた流体力学は、渋滞を考えるための大きな要素の1つなんです。航空宇宙で学ぶ空気の流れは、車の流れや人の流れに結びつけて考えることができます。例えば、流体の基礎方程式に対応して、渋滞のモデルを考えることができるんですね。
渋滞に関する一番有名な事実として、渋滞の塊が進行方向と逆向きに動いていくというものがあります。流体力学とも関連する非常に簡単なモデルを使って、これを再現することができます。具体的には、すごろくのようにマス目が一列に並んでいて、マス目上のコマが確率Pで1マスずつ進んでいくモデルを考えます。これに、1マス前に別のコマがいたら動けない、1マス前が空いていたら動けるというだけのルールを与えて、繰り返し動かしていくと、渋滞の塊が、進行方向と逆向きに動いていく様子が再現できるんです。
桝田:なるほど、面白いですね。
柳澤:現実には人や車なんですけれども、これらを粒子(コマ)と見ることによってある程度正確な数式化やモデル化をすることができます。つまり原理としてどういう仕組みになっているかを、できるだけシンプルな式で書こうというわけです。また物理学で物質を考える時に「相転移」という概念があるのですが、これも流れている状態から渋滞という動かなくなる状態に「相転移する」という見方をすることによって、人や車の流れの状態を定義することができます。渋滞を解消しようという研究は、実は西成先生の「渋滞学」以前から交通工学や土木工学、都市工学などの分野にあるのですが、それらとの違いはこのようなアプローチにあると言えますね。
われわれは、実際に人に歩いてもらって実験を行うこともあるのですが、今日は研究室をそのような実験を模した配置にしてみました。このような実験はこれまで、被験者に色つきの帽子を被ってもらい、俯瞰から撮影して位置をトラッキングするといった方法が主流だったのですが、最近、僕はスマートフォンを使った方法に注目しています。スマホからは位置情報だけでなく、人が向いている方向が分かるので、人の動きが今までよりも正確に分かります。また、最近では血圧、脈拍、発汗が簡単に調べられるような機器も開発されているので、渋滞によって人が感じるストレスなども数値化できるようになるのではないかと考えています。
桝田:私は大学の薬学部を卒業してから6年ぐらい企業に就職し、企業では薬学・医薬部門から、弁理士を取って知財部門に移って、その後大学に戻ってきました。
柳澤:薬学って、具体的にどういうことを研究するんですか?
桝田:薬学は、薬をどう患者さんのために的確、適切に造り、使うかを追求する学問なのですが、一方で、基礎研究の多くの部分は医学と共通しています。学ぶ分野も、創薬に関する有機化学から、薬理学、薬物動態、ゲノムの機能解析等の分子生物学、NMRや結晶構造解析等を含む物理化学まで幅広いのが特徴です。
柳澤:薬学の中で総合大学並みにバラエティがありますね(笑)。
桝田:「薬学のアイデンティティは?」と問われると、なかなか難しいところがあります。
柳澤:桝田先生は、具体的にはどういう研究をされているのですか?
桝田:私が選んだのは社会薬学という分野で、博士課程の時は、医薬品産業における知的財産制度の研究をしていました。この研究を基として、現代社会の中で、イノベーションとパブリックヘルスをどう両立させていくかに関心を持っています。イノベーションを起こしていくと、特に医療の分野では、社会のどこかに悪影響が出ることが多いので、そこをどうバランスを取るか、といった問題意識ですね。……しかし、同じ建物にいるんですけど、全然違うことやってますね(笑)。
柳澤:確かに(笑)。
桝田:例えば現在日本では、医療用医薬品の市場が10兆円、ドラッグストア等で普通に買えるお薬が1兆円ぐらいあります。10兆円のうち約6兆円が特許で守られている薬──新薬と呼びます──で、残りの4兆円を、後発のジェネリック医薬品と特許が切れた新薬で分け合っています。今後医療費が増えていくなかで、新薬とジェネリックの市場における流通バランスをどうするか、という議論があるんですね。私はこれを知的財産制度との関係で捉える必要があると思います。つまり、新薬の特許制度を巡って一方には新薬をどう保護するか、他方にはそのような知財をどう障壁にならないようにするかという問題です。その中でどう制度を作っていくか、国際比較、過去におけるその制度の導入・改正の経緯の分析の他、裁判の判決などに照らして検討しています。
また、このことは国際問題にもなっていて、たとえば2015年に12カ国の間で同意された環太平洋経済連携協定(TPP)では医薬品特許期間が焦点のひとつになりました。アメリカは新薬を保護したい、他国の多くはそういった制度の実現は難しいという国際的状況の中で、日本はどう振る舞うべきか……私はこのような判断にも貢献しています。そもそも、新薬を開発する技術力を持った国は、世界にもう5カ国ぐらいしかないという話がありまして、その1つである日本が、現在の研究開発水準をいかに維持していけるのかは、重要なテーマだと思います。またこれに関連して、今、新薬承認や薬価といった日本のよい制度のアジア展開にも注目しています。薬が患者さんに適正に使用されるといったパブリックヘルスまで含めたアジア各国の社会システム作りに、貢献したいと考えています。
柳澤:それはぜひ、進めていただきたい研究だと思います。
桝田:はい。渋滞も大きな社会問題ですけれども、お薬も──それがなければ現実に死んでしまう人が出てくる分野なので──社会全体がよりエモーショナルに関わってくる分野なのだと思います。
桝田: 実は先端研に来てから、今まで注目してきた医療・医薬品産業よりも広い視点を持つよう、自分自身のマインドセットを変えつつあるんです。たとえば私たちの現在の情報社会において「情報」への法的規制は強まる流れにあります。しかし、法学にはどうも、情報の定義が見当たりません。データ、インフォメーション、ナレッジといった本来異なる語が混ざって議論されているという印象がありますね。しかもこの影響は、今度は患者さんだけではなく、社会の全員に及びます。そこで私は、社会全体として不利益が生じないようなバランスでどう規制を作っていくかを見ていきたい。知的財産法は、科学技術の進歩とともに保護強化するように変わってきた流れがありますから、情報に関わる法制度も、当然どんどん変わっていくと考えられます。うまく制度設計をしないと、社会にちゃんと価値が配分されないような世界になってしまうのではないかと危惧されるのです。
柳澤: うーん、そういう世界があるわけですね。面白いですね。
桝田: 今、技術者と、法を設計する人など社会科学の人々の間で「情報」の定義が全然違いますから、まずそこを変えなければいけません。社会科学者が技術者にキャッチアップして、社会的な共通概念を作っていくところからではないかと考えています。
柳澤: 僕のほうは、今、たぶん渋滞学というところから、逆に少し離れ始めているところがあるんです。
桝田: 離れる?……それは興味深いですね!
柳澤:
ええ。最初にお話ししたように、西成先生の渋滞学の本質は、ふつうは数学や物理では扱えないと考えられていた現象に、数学や物理を応用していったところにあったと思います。そこで今度は、その対象となる現象を、渋滞学と一般に考えられているものの外にも見つけて、その範囲を広げていこうというわけです。
たとえば研究室には、従来の実験主体の心理学に物理の考え方や数理モデルをどんどん導入したり、ゲーム理論の実験で人の好みのような多様な価値観を見ることで人々の振る舞いを評価したり、といったテーマに取り組むメンバーがいます。一方、より渋滞学らしいものとして、電車の乗降のような新しいテーマもあるんです。電車には降りる人、残っている人、乗ってくる人がいて、混ざっていますよね。ドアの近くの人が邪魔になるとか、スマホを見ていてどいてくれないとか、いろいろな現象が起こって人の流れが乱れます。そこで電車の中にいる人が、どういう分布で存在し、誰かが降りようとするとどうなるのか、といったメカニズムの解明を目指しています。プログラミングも好きなので、スマホアプリとの連携なども活かせるのではないかと考えています。